左手の練習の話
指揮を振ってるとそのうち左手を使いたくなります。
というか、指揮法教程を完璧にこなしたとしても、右手の動きは完全に基礎をマスターすることが出来ますが、左手は基本位置(おへその辺り)で固定された状態になってしまいます。
指揮法教程p.210の言葉を引用すると
『左手を効果的に使う事が出来れば,右手で表わしきれない部分(特に表情等)を示すのに,非常に役立つのである。』
というわけで、右手がリズムをとっている一方で、表情付けに使うのが左手なわけですが、さてじゃあ具体的にどうやって表情つけるのか、その基礎とかはどうなってるのかという話をしたいわけですが、同じく指揮法教程p.210の言葉を引用しますと、
『然し,左手の使用については一定の法則が無く,各人各様のジェスチュアである為,ここではその使用に関して非常に述べにくい。』
とあります。
つまるところ、左手の使い方は各人各様なのです。
なお指揮法教程では、この部分の後に「一般的にやってはいけない左手の使い方」と「一般的によく使われる左手の使い方(特にダイナミクス表現)」の2点を書いてくださっていますが、それを引用してしまうわけにはいかないので、気になった方はぜひ買ってください。
さて各人各様であるならばどうするか、という事で私がたどり着いた結論は2つです。
1.一般的方法は技術として覚える
2.それ以外は曲の振付にしてしまう
それぞれ見て行きましょう。
まず“一般的方法”とは、ダイナミクスとタイミング指示です。この二つは簡単な曲から難しい曲まで必ず含まれる要素であることは言うまでもないでしょう。
この指示方法は基礎技術としていつでも使えるようにしておく必要があります。
次に“それ以外”についてですが、これが表情付けに当たる左手の使用です。これは曲ごとに全く異なるものですから、「こういう表情で演奏してもらいたい!」というのを体で表現できるように左手に振付をします。もはやダンスです。
話が少し脱線しますが、吹奏楽ポップスのようにドラムにテンポ感をすべて持っていかれてしまうような曲では、指揮の最終形態はオタ芸に帰着するというのが持論です。
曲/テンションの盛り上がりとかをリズムに合わせて体で表現してかつリズム指示もやっていると、結局あんな感じになるというやつです。
……そんな感じで、とにかく振付を考えます。
***
ふわっとした話はここまでにして、では練習方法について述べましょう。
まず大前提条件として、右手の1~4拍子の正しい運動を無意識に出せる状態まで持っていけていることが必要になります。
でないと、右手と左手で別々の事をするのに頭が付いていけず大変なことになります。
Core2Duo以上の脳CPUをお持ちの方は大丈夫だと思います。
そもそもですが、
『指揮者が合奏・合唱を指揮するに当たって最も重要な事であるRhythmを示すのは主に右手の役目であり,又,右手はその他に音楽の表情をも表現することができる』
指揮法教程p.210より抜粋
ので、無理に左手を使おうとする必要なんてさっぱりないです。焦らず、順番に、いうなればゲームのアンロック方式みたいな感じでやっていくのが、恐らく一番楽しいと思います。いきなり何でもかんでもやろうとしても、多分大変なだけで何も面白くないと思うので……
右手だけの指揮に飽きたな~ってなったら進んでみましょう。真面目に指揮法教程やってたら多分3か月~半年くらいで行けるんじゃないでしょうか。
***
さて“一般的方法”の練習方法は、「左手は直線、右手は三角形を描くアレ」をやります。言葉で伝えにくいんですが、頭の体操とかでやるアレです。左手は実質二拍子で、↓↑↓↑……という運動をしている一方で、右手は↙→↖↙→↖……と同じテンポで繰り返すアレです。これを、メトロノーム使ってやりましょう。大体♩=160くらいまでで出来るようになれば、とりあえず指揮中に自然に(無意識に)左手指示が出せるようになるでしょう。
正直、これには根拠はなくて、個人的体験がソースです。
練習法はともかく、どうやって指示出せばいいの!?という話ですが、3つあると思っています。
1つ目は指揮法教程に書いてあるものを読みましょう。2つ目は目の前の指揮者の方法を真似します。3つ目はコンサートもしくは動画で、プロの指揮者の左手を凝視します。
ですが、一般的方法と言えども結局のところ左手の使い方は振付なので、
①指揮法教程で何が一般的方法なのかを言葉で知る
②手を動かしている人を見る
③真似してみる
の3ステップ、ダンスを習得するのと同じ要領で練習するしかないのではないかと思います。他に良い方法があったら教えてください。
***
次に“それ以外”……もとい、曲の表情付けで左手を使う場合の練習方法についてです。
これはとても良い個人練方法があります。
音源に合わせて左手だけで指揮をしましょう
これだけです。音源は、右手でリズムを刻む必要もなく勝手に流れてくれます。ですので右手を放棄して左手で表情付け放題です。しかも(個人練なので)どんなに見にくい指揮でも文句は言われません。最高ですね。思う存分、左手で表情付けてやりましょう。
・・・で、終わってしまうならただの自己満です。思う存分左手で表情付けを行ったら、次はそこから抽出(そぎ落とし)作業に入ります。実際に使えそうな部分だけを取り出して、振付として指揮に組み込むのです。
この段階から、右手と左手を同時に使う、普通の指揮に戻ります。正確には、右手はすでに振れていることがそもそもの前提ですので、右手の指揮に左手を足す、というべきかもしれません。
さてここで、何が実際に使えるのかという話になりますが、これはケースバイケースかつ経験と勘によるものが大きいと私は思います。そもそも振付ですし、コレ!っていう正解が無い事が原因でしょう。
ただ一般的にそぎ落とす部分としての候補は
1.左手が動きすぎて右手が全く動かせないような振付
2.左手があまりにもリズムを乱しているような振付
3.鏡で見たら正直何をやってるのか意味不明な振付
4.自分の体力的にヤバイ振付
の4点は積極的にそぎ落としていいのではないかと思います。
そして、その完成した振付を練習場(合奏)に持って行って、やってみます。
が、いきなり全部を披露すると訳が分からない指揮になったり、そもそもそんな事やっている場合ではなく、もっと根本的に合奏隊が練習しなきゃいけない箇所があったりするでしょう。
ですので、自分が自信を持って出せる、完成したと言い張れる振付から順番に披露していくのが個人的なオススメです。いきなりあれもこれもやるのは、自分の頭をこんがらがらせるという意味でもあまり良くないという経験にも基づいています。
そして、合奏隊が、自分の振付で思った通りに動いてくれたかを良く確認しましょう。思った通りになってくれれば振付は有効に働いていますし、思った通りでないならばその振付は失敗・ダメですので、持ち帰って改善案を考えましょう。
この、振付の「作成⇒披露⇒改善⇒披露」のループを繰り返して、本番の左手指揮を完成させていくのです。
***
何度でも書きたいことなのですが、
特に左手指揮はダンスです。
(一般的方法以外は)振付るものです。
練習しなきゃ出来るようになりません。
しっかり、舐めないで練習しましょう。ほんとに。
仕込み無しでいきなりスゴイ左手指揮が出来るならば、あなたには指揮の才能があるので是非プロを目指すべきです。
***
さて左手表情付けのネタ探しですが、これこそプロの指揮者の表情付けをパクりまくる以外に方法はありません。実際のコンサート、TVのコンサート、コンクールで見かける他所の学校の指揮者の先生等々、あらゆるところから盗みまくりましょう。
実際のコンサートは曲を楽しみたい部分もあるでしょうからあんまり指揮法を凝視するのもアレですが、TVのコンサートやコンクールの他校演奏で見かけた指揮なんかは、その場で(ホール客席ではもちろん手元でちっちゃく)振り方を真似してみるのはとても効果があると思います。
最近では、音楽大学や自衛隊の演奏が公式でYoutubeにアップされていたりするので、簡単にプロに教わったりできない我々学生指揮にとって、勉強にとてもありがたい時代になりました。
ぜひ、いっぱいネタを習得させていただきましょう。
***
左手指揮は振付です。
まずは振付て、そして練習しなきゃ出来るようにはなりません。
練習しましょう。
指揮を振っていてたどり着いた結論の一つです。
ゆめみどり
指揮者は時間の魔術師であるっていう話<前編:魔術師としての責任の話>
指揮者は時間の魔術師である
なんて書くと、また何を大げさなことをっていう風に思われるかもしれないですね。
今回はその概念的な話をしていきましょう。
具体的な技術の話は後編で。
<後編書いたらここがリンクになります>
***
まず初めに、音楽の定義ってなんだろうっていう話からしなくてはなりません。
今回はWikipediaから引用しました。
“西洋音楽では、次の3つの要件が必要であるとしている。1.材料として音を用いる。2.音の性質を利用して組み合わせる。3.時間の流れの中で素材(音)を組み合わせる。そのため、 リズム(律動)、 メロディー(旋律)、ハーモニー(和声)をもつものが音楽とされる。つまり、音楽は時間の中に組み立てられた芸術であり、絵画や彫刻を芸術空間とよぶのにたいして、時間芸術ともよび、美学では人為的な音楽は音による時間の表現であると定義する。広くは人間が楽しめたり、意味を感じたりすることのできる音全体のことをさす場合もある。” Wikipedia 音楽の定義
今回はWikipediaの言葉を借りますが、音楽とは時間の芸術です。
本来はそこに存在しなくていい「音の場・空間」を発生させ、時間・空間の流れ方を強制的に変化させる芸術であるのが音楽です。そのため、自他問わず音楽に関わる人の時間を拘束し、聴いたものに何かしらの変化を与えるモノ……が音楽というものです。
そんな時間の芸術であるところの音楽を操作することが出来る人間こそまさに指揮者であるというそういう話です。
音楽が時間の芸術であるならば、その時間の芸術を操作する指揮者は時間の魔術師と言っても過言ではないでしょう。
音楽は、その場の時間の流れ方を変えます。
指揮者は、その音楽の流れ方を変えます。
すなわち、指揮者は音楽を通じてその場の時間の流れ方を変え得る存在です。
そういう話です。
***
ただそれだけで終わるのであれば魔術師なんて書き方はしません。
もう一つ大事な部分は「音楽は自他を問わず音楽に関わる人の時間を拘束するものである」という点です。
そうです。指揮者は他人の時間を拘束しています。大げさに言うならば、他人の人生を勝手に拘束しています。
具体的な話をしましょう。
合奏練習中は、指揮者はまさに時間の魔術師でしょう。
合奏練習というものを雑な言葉で表すならば、指揮者が演奏の開始と停止を繰り返すものであるということが出来ると思います。すなわち、指揮者という存在は、それによって間違いなく他人(演奏者)の人生を操作―具体的には演奏開始、停止、待機―しています。
そこでです。合奏隊には何人の人間が居るでしょうか。指揮者という立場のたった一人の人間によって、バンドメンバー数十人~数百人の人生の時間を、指揮者の思い通りに勝手に操作しているのです。
さらにこれに聴衆が加われば、その聴衆分の人生の時間を変化させている事にもなるというのは、前に述べた通りです。
ここまで理解すると怖くなりませんか?
もし、他人の時間を蹂躙した分何か罰を受けなければならないとか言う世界だったら、指揮者は間違いなく酷い量の罰を受けるタイプの職業であることは想像に難くありません。幸い現世はそんなことありませんが……
***
学生指揮者も、指揮者である以上ある意味で呪いであるようなこの時間魔術を行使することになります。
そして、その時間魔術行使の責任を全うするために自分の時間を犠牲にしなければならないという、これまた呪いのような目にあわなくてはいけません。
やってらんないですね。
ですが、我々はそれで終わるわけにはいきません。呪いには打ち勝つ術があります。
結論から言えば「責任をもって」「最大限まで効率を上げる」という話に収束するわけですが、今回は「責任を持つ」方の話をしてきたつもりです。
***
具体的な話でありかつ同時に結論として、何をもって「責任を持つ」のかというと、
指揮者は、ものすごい量の人間の時間を拘束している存在であるという事を自覚すること
ただその1点です。
これを自覚するとしないでは大違いです。指揮者という名の、独りよがりで自分勝手な存在になるか、それともバンドを“指揮する”存在になれるかの境界線であると私は考えています。
***
ただでさえ失った自分の時間を取り戻せなくて後悔することがあるって言うのに、他人の時間を失わせてしまったなんてことになったら一体どうやって罪を償えばいいんでしょう……というのは、個人的には永遠の悩みなような気がします。
指揮者とは時間の魔術師である。
もう少しだけ続きます。
ゆめみどり
指揮者の基礎練の話
羽生結弦選手が素晴らしい言葉を残してくださいました。
『芸術とは明らかに、正しい技術、徹底された基礎によって裏付けされた表現力が無いと、芸術として成り立たないと思っています』
もうまさにその通りでしょう。基礎に勝るものはありません。
で、指揮の基礎の話です。そもそも基礎技術って何だよっていう話です。
専門教育を受けてるわけでもないアマチュアである学生指揮者にとってみれば、基礎技術が何なのかを知るのでもなかなか難しいです。自分はたまたま運よく教えていただけましたが……
結論から言い……たいところですが、これは大きく2段階に分けてあると思っています。
1.指揮が振り上げの連続であることを理解する=正しい振り上げ方を理解する
2.斎藤英雄先生著「指揮法教程」第1部を覚え込む
この2ステップです。
***
1.指揮が振り上げの連続であることを理解する=正しい振り上げ方を理解する
個人的にはこの壁を越えられるかどうかが非常に重要だと思っています。
壁を越えるというと大げさな気がしますが、結果的には1拍子の打法となるこの技術を正確に知ることができるか否かで、ここから先に進めるかどうかを決める、決定的な、まさに「基礎の基礎」がこれであるからです。
自分が学生指揮という立場だったからだとは思いますが、「正確に習得」と言い切ることはできません。なぜなら、正確に習得した方の教えを請えるとは限らないからです。
自分もちゃんとできてるかは怪しいからって部分もあります。
基本位置で本当に一瞬だけ力を入れて腕を跳ね上げ、そこから頂点に向かい、再び降りてくるまでは完全に脱力し、その間腕はまるで跳ね上げられたボールのように機動する……
みたいな話は、自分が書くよりももっと良いYoutube動画なんかがあるでしょうから、そちらを探していただければと思います。
***
2.斎藤英雄先生著「指揮法教程」を覚え込む
斎藤英雄先生がいかに素晴らしい先生であり、この本がいかに画期的で優れたものであるかは、それに詳しいブログや記事に譲るとして、1つ目のステップを越える(理解する)と、この指揮法教程に書いてあることが理解できるようになります。
逆に1つ目のステップを越えないで指揮法教程を読んでもちんぷんかんぷんです。
ソースは過去の自分です。
そして、
この本に書いてあることこそが、指揮法の基礎です。
第1章 第1項 第1節「1拍子の打法」を、予備知識なしで文字だけで理解しようとするのはかなり苦しいです。一方で、1個目のステップを他所で踏んでいればすんなり通り抜けられます。
そして、この節を抜けられたら、後は第1章 第3節「しゃくい」以外はほぼすべて同じ論調・解説で書かれているため、本を読みながら練習するだけでしゃくい以外の基礎技術をすべて手に入れることが可能です(書き方が大げさ過ぎるかもしれませんが……)
問題は「しゃくい」です。ここだけは何故かふわっと書いてあるだけで、何とも分かりにくく、自分がやっている運動が本当に正しいのかイマイチ本を読むだけではわかりません。これは、プロの指揮者に教えを請うか、もしくはYoutubeで素晴らしい指揮をしている動画を探すしかないのではないかと思っています。
個人的には、第2部 "応用練習篇"(譜例を用いた実戦練習)は後でもいいので、とにかく、第1部に書いてあることを毎日少しずつやって行って数か月~半年間位続けて、もう他人に説明できるくらいに体にすべてを覚え込ませればOKだと思っています。
そして、その体に覚え込ませる行為こそが指揮の基礎練です。
じみーな作業ですが、頑張りましょうとしか言いようがないです。
***
基礎練に当たっては、ポイントが2点あると思っています。
1つ目は全く個人でやる時。2つ目は合奏の時です。
1.全く個人でやる時
全く個人でやる時は、可能であれば鏡と本(指揮法教程)を用意して、自分の指揮がちゃんと本通りに出来ているかどうかを鏡で見ながらやりましょう。最近だったら自撮りカメラで確認するのもいいかもしれませんが、カメラを見るために姿勢が悪くなっちゃったりしたら元も子も無いので注意です。
落ち方が不自然だったり、なんだか軌跡が変だったりというのは、すべて見づらい指揮に直結です。基礎練ですから、その辺はしっかり正しく出来るように練習しましょう。
場合によっては1拍子の振り上げまで戻ることも辞さないことです。
2.合奏の時
合奏の時……というと、「メンバーに振ってる姿を見てもらって、見づらいか見やすいか確認するんでしょ」みたいに思われるかもしれませんが違います。今は基礎練の話です。
合奏の時に自分の指揮の基礎練が出来ます。それは、ウォームアップ等でロングトーンをしている時です。メトロノームに合わせて合奏隊のロングトーンをやっているバンドであるならば、残念ながらこの練習をすることは難しいですが……
ゆっくりなテンポを正確に刻み続けるのは非常に難しい技術であると同時に、振り上げからの運動=1拍子の基礎が出来ていないと絶対に出来ない技術です。テンポがブレます。
これをしっかり振り切れるような練習を、合奏の場でできるのです。一人で孤独に練習してるよりはマシでしょう。また、合奏隊もつまらないなーとか思いながらロングトーンをぶーっとやってるかもしれません。合奏隊はロングトーンの基礎を、自分は打法の基礎をお互いに一緒に練習するのです。
「音が聞きたいから」とか「ロングトーンだし振っててもしょうがないから」とか言う理由で指揮を振らないのは論外です。それだったらあなたも一緒に楽器をもってロングトーンに参加する方が何百倍も有意義でしょう。
ロングトーンを振っててしょうがないことは、これまで述べてきたように全くありませんし、打法がしっかりできているなら、少し意識を打法から逸らして音を聴く方に集中することだって可能です。音が聞けないなら間違いなくあなたは指揮を振れていません。それだけの事です。
また、ロングトーン以外のウォームアップや基礎合奏等までも任されているならば、1拍子の基本打法以外を練習するチャンスにも恵まれていると言えるでしょう。そうです。アーティキュレーションの練習です。アーティキュレーションに合わせて、叩き方を変えるという事です。詳しい話は本を読んでください。
これも理屈はロングトーンと全く同じですので、同じことを書くことはしません。
***
指揮だって芸術であり技術ですので、どんなに素晴らしい指揮を振っている方でも、結局は基礎に帰り着きます。どんな指揮も、盤石な基礎の下に成り立っているという事は言うまでもないことでしょう。
ただ、地味な練習ですので、その辺はうまいことやっていかないといけませんね。
ちなみに自分は、本を買ってから1か月半くらいひたすら集中特訓して、後は思い出したころにやるという方式をとってました。コツコツやるのは苦手です。
基礎練、頑張りましょう。
指揮法教程、買いましょう。
ゆめみどり
指揮は誰でも振れるけど指揮者にはなれるわけではないっていう話
指揮は誰にでも振れます
……というのは、「あんまり表立って言われない一方で、みんななんとなくそんな気がしているような話」のうちの一つなような気がするんですがいかがでしょうか。
指揮って、拍子と振る時の腕の軌跡さえコピーすれば(振り方そのものが正しいかどうかはさておいて)誰でも振れる……というのは、例えば学校の音楽の時間の指揮が良い例なんじゃないでしょうか。合唱コンとか。
合唱コンの例で言えば、全クラスに指揮者が必要な部活の現役学生指揮者を採用してる……なんていう事件はそうそう起こらないでしょう。逆に見てみたいけど
でも大体全クラス曲は通りはしますし、コンクールも一応成立します。
また、プロのバンドのコンサートなんかで、“指揮者体験”と称してコンサート中に指揮台に登らさせていただいて、プロのバンドの指揮をさせていただく……なんていう機会に遭遇したことがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
その場合でも、曲はとりあえず通りはします。
さて、合唱コンの指揮とプロのバンドの指揮者体験コーナーに共通していることは
1.指揮はド素人でも(図形さえコピーできれば)誰でも振れる
2.振ればとりあえず曲は通る(変態拍子とか速度変化が激しい曲は除く)
の2点です。
学生指揮者という存在にとって、この点を意識しておくことは大事です。
何が言いたいかというと、先ほどの彼らは「指揮者」ではなくて「指揮を振っている人」であり、学生指揮者はあくまでも「指揮者」でなくてはならないという話です。
さて、持論100%の展開なのはいつもの事でありますが、ここから先は「指揮者の定義」の話です。指揮者とはなんなのか。なぜ合唱コンの指揮者は学生指揮者と呼ばれず、部活の指揮を振る学生は学生指揮者なのか。
そんなお話です。
***
結論から言います
一言で言うと、指揮者とは指導者です。
すこし噛み砕いていうならば、指揮者とは、
自らの思う曲の完成形を具体的に持っていて、かつその完成形に向かうような練習を主導してバンドを指導する人
です。
ポイントは「完成形を具体的に持っていること」「練習を主導してバンドを指導する」の2点です。
***
まず一つ目。完成形を具体的に持っていること。
特に大事なのは具体的にという点です。
合唱コンの指揮者を馬鹿にするつもりはないですが、音楽の授業で抜擢された指揮をする人で、曲の完成形を100%具体的な言葉で説明できるほどの腕前がある人が居るのであれば、その人は指揮者を目指すべきです。
具体的な完成形を持っているならば、その完成形と現状の差を埋めるような練習をすることが容易に可能です。
学生指揮者という立場である人には、その機会が与えられています。自分が思う完成形をプレーヤーに具体的に伝えて、それに向かって皆を導くのが、指揮者の仕事です。
優勝を目指す、楽しくやる、良い曲を作る……みたいな漠然とした目標を立てて、それに向かって邁進するのは、音楽の授業でも可能です。ですが指揮者であるならば、その目標に向かって「どう」進むのか。そもそも何が楽しいこと(音楽)であり、何が良い曲であるのかーーもはやここまでくると哲学ですが、あなたのその考えを具体的に伝えるところまで目指しましょう。
……いや、伝えましょう。
合奏メンバーがどうすればあなたの理想にたどり着けるかの知恵を絞ってくれるかもしれません。
ところで、「チーム一丸となって同じ目標に向かう」という言葉はよく聞きますが、具体的にどうやってチーム一丸となって同じ目標に向かうのかを語られることはあまりないように思います。
私の言うこれは、その方法論の一つであると自負していますがいかがでしょうか。
そして「チーム一丸になって同じ目標に向かう」というのは、指揮者は「バンドをまとめ上げて曲を完成させる」という形でやっていることではないかと思うのですが、どうでしょうか。
***
そして2つ目、練習を主導すること。
これは結構わかりやすいことではないでしょうか。顧問の先生をはじめとした「指揮者」のもつイメージそのもののうちの一つでしょう。
ここで大事なのは、先に述べた「完成形に向かうような」という点。
別の指揮者が同じ曲をやると全然違う曲になる、というのはよく聞く話であると思いますが、それの正体のうちの一つがコレです。
指揮者によって、同じスコアを見た時に浮かぶ完成形は当然異なります。そして、それぞれの完成形に向けてバンドを指導した結果、違う曲として完成している……というただそれだけの話です。
問題は……そうです。「どうやって」そこにもっていくかという所です。ここが指揮者が指揮者たる部分であり、学生指揮者と、顧問の先生と、そしてプロとの実力差が出てくる場面です。
結論から言うと効率の差でしかないと思っています。
指揮者にとっての合奏練習とは、一言で表すならば「理想的な完成形と、現実に鳴っている音の差異をくみ取って、それを埋めるような指示を与える場」であると思います。
実力差・効率の差とは、ここでどのような指示を与えられるか、です。
さらに言い方を変えれば、「何がダメであるかを見抜く力」+「どうすれば良くなるかという知識を持っているかどうか」と「それを言葉にして伝える能力」の差です。
プロであれば、専門的な教育と圧倒的な経験量がありますから、何がダメでどうすれば良くなるかを分かりやすく伝えるなんて言うのは朝飯前なんじゃないでしょうか。
そして顧問の先生は、プロの方々にはもちろん劣りますが、我々学生指揮から見れば非常に豊富な経験と知識を持っています。
では学生指揮者は……難しいですよね。でも、普通の学生よりもこれが出来なければなりません。逆に言えば、これが出来ればあなたは立派な指揮者です。
余談ではありますが、プロの指揮者とバンドというのは、合わせ・練習を多くて3回(顔合わせ、練習、リハ)しか行わないと聞いたことがあります。
ホントにそうだとしたら、それで指揮者の個性が出るというのは凄まじいことです。
プロの指揮者は、伝えたい完成形を、最小限の言葉と指揮技術の両面から伝えられるように究極にまで効率化しているからこそそんなことが可能なんじゃないだろうかというのが私の考えです。現場を見たことはありませんが!
***
さて、この技術。学生である間にどのように習得するかですが……
盗みましょう
しかもあらゆるところからです。インターネット検索以外でのいくつか典型的な例を出してみましょう。
合奏で自分がプレーヤーの時に、他のパートが捕まったらチャンスです。自分以外の楽器は何が苦手で、どのようにすれば解決できるのかの情報を手に入れることが出来ます。先生の指導であれば、伝え方も効率化がなされているはずです。そこも含めて盗めればなんとありがたいことでしょう。
他のパートの指導の現場に遭遇したら聞き耳を立てるしかありません。なぜ指導の現場が発生しているのか、何がダメなのか、どのように解決できるのかをすべて盗んで帰りましょう。そうすれば、あなたが指揮台に立っても同じ指導が出来るハズです。
先輩たちの楽器・音楽トークなんかは格好の材料です。「こんなことあるよね~」「あるある~ こんな時しんどいし音出にくいからヤなんだよね。あの曲はココが難しくて~」とか言う話をしていたら混ざるか横で聞くべきです。
自分は知らないけどその楽器にはあるあるな事はたくさんあるでしょう。当人たちからすれば楽し気な愚痴トークであっても指揮を振る側からすれば新鮮な知識習得の場となり得ます。
また、こういうトークの場でさりげなーく指導で疑問に思っていることなんかを聞いてみるのもアリです。「この間先生にああいわれてたけど、実際アレ難しいの?」みたいなやつです。そうしたら、なんで難しいのか、先生の解決法が良かったのか、実際どうすればいいかみたいな話を愚痴交じりで手に入れることが出来ます。
そうしていくうちに、自分の専門である楽器以外について、難しいところだけでなく、それをどう解消すればいいかについてまでの知識を蓄積していくことが可能です。賢い人であれば、「あの時はこうしていたからこれでも応用利くんじゃね?」みたいな発想に至る人もいるでしょう。
指揮を振る人はやたら他パートの練習にまで何故か口出しが可能だったりしますが、からくりはこんなところです。
このようにして、この知識の積み重ねを続けて行けば、これを武器にして、合奏でプレーヤーを自分が思う方向に指導していくことが容易に可能になるわけです。
音楽の授業でここまでやる人はいないでしょう
もしやっている人が居たらその人は「指揮者」を目指すべきです。
つまるところ、ここまでやるからこそ、音楽の授業で指揮を振る人は指揮者ではなく、学生指揮者は指揮者と呼ばれるのです。
***
指揮者とは指導者である……というのは、実は中高時代の指揮の先生の言葉です。
でも実際そうだよな。と私も思います。
自分の理想を掲げて、その理想に向かってバンドを導く人が指揮者です。
指揮は誰でも振れるけど、誰でも指揮者になれるわけではない。
自分が振ってきてたどり着いた結論のうちの一つです。
ゆめみどり
どんな学生指揮者でもプロの指揮者に勝つことができる話
日本全国といわず、世界中の「学生指揮者」は、必ず、目の前にいる顧問の先生だけでなく、世界中のどんなプロの指揮者にも勝てる要素を1つはもっています。
というのが、持論です。
学生指揮者というと、指揮者としては完全に未熟者であり、技術面でプロの指揮者に勝てるなんてことは到底ありえません。だって相手プロだもん。
ですから、当然、彼らを相手取って技術で勝負を仕掛けるなんてことはしません。
しかしながら勝てる「部分」はあるんです。ただ、個人的にはそれを活かしている学生指揮者ってどれくらいいるんだろうっていう疑問があるのと、やっぱりせっかく勝てるんだから一生に一回くらい、プロの指揮者に勝ってみてもいいじゃんって思うわけですよ。
結論から言いましょう。
年齢です。
***
さてこの「年齢」という要素がいかに重要であるかを語らねばなりません。
この勝てるチャンスが使えるのは主にポップスを演奏している時です。
クラシックは稀にあるかなって言うくらいな印象です。
ではここで、世界の名だたるプロの指揮者と、その辺の学生指揮者が、同じポップスの吹奏楽アレンジを、同じプロのバンド相手に指揮を行ったとしましょう。
ここでは、ようこそジャパリパークへの吹奏楽アレンジなんかをやったことにしてみましょうか。
WSJ-17-015 ようこそジャパリパークへ/どうぶつビスケッツ×PPP(吹奏楽J-POP)
TVアニメ『けものフレンズ』主題歌「ようこそジャパリパークへ / どうぶつビスケッツ×PPP」
プロの指揮者は、プロのバンドを完璧に仕上げ、最高の指揮で観客をもてなします。
その類まれなる才能と技術、そしてバンドを率いる力をもって、最高の演奏を披露してくれることでしょう……多分。
では一方学生指揮者はというと、自分の持てる精一杯の力と技術で指揮を振ろうとしますが、音楽的素養と指揮技術ではプロの指揮者の足元にも及びません。
つまるところ、音楽技術で勝負しても絶対に勝ち目がありません。
……が、
それ以外の部分では勝てるのです。そう、年齢という武器を行使しましょう。
やり方は色々あります。
例えば、フレンズのコスプレをして指揮をするなんてのは、学生指揮者にしかできない事です。
流石にプロのおっさんがフレンズコスをして振るのは中々イタいものがある……というのは想像に難くないでしょう。
他には、指揮中に踊ってみるのはどうでしょう。
どうせドラムにテンポの主導権を持っていかれてしまうポップス学生指揮です。ならばいっそ、テンポにこちらからノリに行ってしまいましょう。
学生指揮者の体力があれば全曲踊っても平気でしょう!おじさんには辛い!
真面目な話として、指揮で踊るというのは結構有効で、何よりすごく楽しそうに見せることが出来ます。(実際踊ってて楽しいし)
楽しく演奏したい、楽しく振りたいって言う指揮者は多いと思います。
なら踊っちゃおう。
***
これはあくまで持論ですが、
例えばこのジャパリパークをやるのであれば、「うー がおー!」のところで行儀良く振る学生指揮者は学生指揮者失格です。その部分はプロの方がキレイに振ることが出来ます。
学生指揮者なら、「うー がおー!」のポーズをしましょう。
サビ前「ワン ツー スリー」で行儀よく振る学生指揮者も学生指揮者失格です。その部分はプロの方が(ry
学生指揮者なら、腰に左手を当ててもう右手でワンツースリーを出しましょう。
そうです。振付通りに踊りましょう。
もしあなたが学生なのであればぜひ想像してみてください。
あなたの学校の学生指揮者と、顧問の先生(もしくは外部講師の先生)の指揮で、うーがおー!のポーズやワンツースリーの振付けをやっている姿を……
***
学生バンドの演奏で、演奏中に立ったり踊ったり、コスプレしたり劇をしたり……という演出を組んで担当するのは、「楽器プレーヤー」であることが多いような気がします。
そして、プロがやれないような演出を、学生だからこそ!と言って全力で仕込んで頑張るなんてのは割とよくある話なんじゃないでしょうか――
というのは自分の印象でしかないのですが……
ですがそれを、指揮者がやってダメなことは全くありません。
むしろ、年を取ると出来なくなります。
純粋にイタい。
なにより体が追いつかない。
そうです。
プロの指揮者にはできない事を、学生指揮者なら出来るのです。
これをやらない手は無いでしょう。
……が、意外とそれをやってない学生指揮者は多い印象があります。
ただの指揮者では、顧問の先生やプロみたいに振るなんてことはできなくて当然なのですから、それではあんまり面白くありません。
ならば積極的に勝てる要素を使って行った方が、学生指揮者をやっていても面白味があると思うんですが、どうでしょうか?
っていうか、学生指揮者のうちにしかできないんですし、やってみたくないですか?
***
せっかくの学生指揮という立場なのです。
せっかくの年齢なのです。
先生より見にくいとか指揮が下手とか言われるのは当然です。
でも、先生にもプロにも勝てる部分があるのです。
せっかくだから、勝っちゃいませんか?
どんな学生指揮者でも、プロの指揮者に勝つことが出来る要素がある。
自分が振って来てたどり着いた結論の一つです。
ゆめみどり
学生指揮者としてのBe a Music……っていう話
Be a Music
自分が指揮を振り続けている中でたどり着いた結論のうちの一つです。
音楽になれ。
指揮者として曲を完成させるにあたって必要なのは、曲の完成点を自分の中で明確に定めて、そしてそれに向かってバンド現状と理想とのギャップを計測して練習内容にフィードバックしていくことです。
……というのは、練習を運営する人としての指揮者の話。
曲を振る人としての指揮者のゴール地点こそが「Be a Music」であると思っています。
つまり、曲になって振るのです。
本番で曲が流れ始める。
その瞬間指揮台に居るのは人間ではなく、その曲自身なのです。
指揮者としては、その曲が始まる時には、自我はなく、その曲に心身ともにその曲で満たすのです。
時に激しく、時にやさしく。
あるときには涙を流し、またあるときには怒り、そして笑顔になり……
身体のすべてを使って曲を表現する。そこに自分はいない。
それこそがBe a Musicという事であり、指揮が目指すところであると思っています。
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さて抽象的な話が続きました。具体的な話に移りましょう。
指揮者として曲の解釈をするというのはおそらく当然のことで、学生指揮だろうとそれは変わらないでしょう。
問題はそれをどう伝えるのかという話です。
そして結論から言うと、それの伝え方として手っ取り早い方法が「自分がその曲になってしまう」という話なわけです。
ですが、体を溶かしたりして実際の音になるわけにはいきませんから、その表現手段として「棒振り」というものを介すというわけです。
自分の中高時代の恩師の先生がおっしゃっていた事ではありますが
「指揮は顔8割棒2割」
だそうです。
その言葉を私なりに解釈・アレンジした結果がコレです。
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で、一応学生指揮者論ですから、これを可能にする学生指揮者としての練習とかっていう話を書かなきゃいけません。そうじゃないと備忘録にもならないので。
最初は「一通り曲が通るように完成させる」ことです。
まずは味気なく。言い方を変えれば誰が振っても大丈夫なレベルで、ひとまず曲が通るレベルまで仕上げましょう。
プラモデルでいう所の仮組み、絵描きでいう所のラフ画というやつでしょうか。自分はどっちもやらないので詳しくはわからないですが……
そこまで出来るようになったら、自分の考えを投入していきます。
もちろん練習中にです。最初はちゃんと言葉で表現しましょう
――つまり、曲が通るようになる前の段階で、自分が曲に対してどのようなイメージを持っているかを言葉に出来ていなければなりません。
そして、そのイメージを何度でも伝えます。イメージ通りに吹いてもらえるまでは何回でも言います。ここで大事なのは「言う」ことです。覚えてもらいましょう。
一番良いのはその場で楽譜にメモを取ってもらえることですが……
そして、イメージ通りの音を出してもらえるまで根気よく練習します。ただその辺は他の練習時間との兼ね合いもあるので、程よく妥協しながら進めていきましょう。
で、自分がそれを表現する場はいつか。
自分はそれを本番でしかやりませんでした。
正確には、「リハーサルでその片鱗を見せて、本番ですべてを発揮する」という方式をとっていました。
何故か。
単純な理由が2つあります。
○本番の段階では、正直指揮者が居なくても大丈夫なレベルまで皆曲に慣れているから
○曲になりきった指揮は正直見にくいから
です。
曲になりきった指揮って言うのはぶっちゃけ踊っているのと変わりがありません。無茶苦茶見にくいです。
しかしながら曲は空中分解することもなく(たまにあるけど)、今まで通りのクオリティで通ります。そして、それを可能にするのが1つ目の理由です。
曲になりきった指揮は、指揮として見にくい一方で曲の雰囲気を最大限に表現できます。すなわち、既にある程度のクオリティが、指揮者が居ない状態で担保されているのであれば、それに指揮によって曲の雰囲気を追加することによって、本番マジックみたいな言葉で表現される「練習の時より何倍も良かった演奏」を、意図的に引き起こすことが可能になるのです。
そして、さらに本番に居ついてる“魔物”を味方に付けられれば、学生指揮者だろうと顧問の先生に1回くらいは勝てるかもしれません。
さて、これについても具体的な話をしなければなりませんね。
まず本番の振り方――曲になりきって振る方法というのに、正解は無いでしょう。
自分が思う音楽を、自分の体で表現するのですから、自分の思うその振り方こそが答えです。
しかし、この振り方は「練習」が必要です。でも曲になって振るなんて言うのは、いわば振付けみたいなものなので当然と言えば当然です。
練習自体は人知れずでもいいですし、誰かにだけ見せておくのもいいかもしれませんね。でも本番一発勝負だけはやめておきましょう。
また、練習中にむやみにその振り方をするのも良くはないです。それは単純に見にくい指揮だからです。前述の通り、しっかり練習して臨んだ本番だからこそ見にくい指揮で大丈夫なんだということは覚えておきましょう。
一方でリハーサルで本番指揮の片鱗を見せるのは大事です。もしかしたら見にくい指揮で大丈夫だろうと思っていた箇所がグダったり、また、実際やってみたら思ったほど良い表現ではなかったりすることがあります。リハーサルなら失敗しても許されますから、積極的にトライしてみて、そして本番までに修正をするようにしましょう。
注意点としては、「テンポの変わり目等の重要箇所の指揮は絶対に変えないこと」です。どんなになれた曲であっても指揮者が必要なのはこの部分です。曲になりきるのを優先しすぎて、この部分までまるっきり変えてしまうと曲が通らなくなります。
ですが言い換えれば、これをあらかじめ振付けとして「曲になりきる指揮」の中に如何に組み込めるかが腕やセンスの見せ所じゃないでしょうか。
また、あまりにも見にくい指揮であると曲の表現どころではなくなります。そこで必要になるのが指揮法です。これもまた、上手く振付けに組み込むことで「そこまで分かりにくくない指揮」でかつ「曲になりきる指揮」を振ることが可能になります。
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長くなりましたが……
Be a Music
私が学生指揮をしていてたどり着いた結論のうちの1つのお話でした。
ゆめみどり
てすと
ブログサービスでは初めまして。夢翠(ゆめみどり)です。
とりあえずテスト投稿ですので、内容は特にありません。
直近で乱雑にまとめていこうと思っているのは、「学生指揮者論」の話。
自分が正味8年間でやって来たことを、備忘録的に残していけたらなと思ってます。
それ以外のことは、書いてて楽しかったら増やしていきます。
基本的にはこういうの苦手なので……