ゆめみどり学生指揮者論(仮)

中2~大4 学生指揮8年分の備忘録

指揮は誰でも振れるけど指揮者にはなれるわけではないっていう話

指揮は誰にでも振れます

 

……というのは、「あんまり表立って言われない一方で、みんななんとなくそんな気がしているような話」のうちの一つなような気がするんですがいかがでしょうか。

指揮って、拍子と振る時の腕の軌跡さえコピーすれば(振り方そのものが正しいかどうかはさておいて)誰でも振れる……というのは、例えば学校の音楽の時間の指揮が良い例なんじゃないでしょうか。合唱コンとか。
合唱コンの例で言えば、全クラスに指揮者が必要な部活の現役学生指揮者を採用してる……なんていう事件はそうそう起こらないでしょう。逆に見てみたいけど
でも大体全クラス曲は通りはしますし、コンクールも一応成立します。

また、プロのバンドのコンサートなんかで、“指揮者体験”と称してコンサート中に指揮台に登らさせていただいて、プロのバンドの指揮をさせていただく……なんていう機会に遭遇したことがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
その場合でも、曲はとりあえず通りはします。

 

さて、合唱コンの指揮とプロのバンドの指揮者体験コーナーに共通していることは

1.指揮はド素人でも(図形さえコピーできれば)誰でも振れる
2.振ればとりあえず曲は通る(変態拍子とか速度変化が激しい曲は除く)

の2点です。
学生指揮者という存在にとって、この点を意識しておくことは大事です。

何が言いたいかというと、先ほどの彼らは「指揮者」ではなくて「指揮を振っている人」であり、学生指揮者はあくまでも「指揮者」でなくてはならないという話です。

 

さて、持論100%の展開なのはいつもの事でありますが、ここから先は「指揮者の定義」の話です。指揮者とはなんなのか。なぜ合唱コンの指揮者は学生指揮者と呼ばれず、部活の指揮を振る学生は学生指揮者なのか。

そんなお話です。

 

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結論から言います

一言で言うと、指揮者とは指導者です。

 

すこし噛み砕いていうならば、指揮者とは、

自らの思う曲の完成形を具体的に持っていて、かつその完成形に向かうような練習を主導してバンドを指導する人

です。

 

ポイントは「完成形を具体的に持っていること」「練習を主導してバンドを指導する」の2点です。

 

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まず一つ目。完成形を具体的に持っていること。
特に大事なのは具体的にという点です。

合唱コンの指揮者を馬鹿にするつもりはないですが、音楽の授業で抜擢された指揮をする人で、曲の完成形を100%具体的な言葉で説明できるほどの腕前がある人が居るのであれば、その人は指揮者を目指すべきです。
具体的な完成形を持っているならば、その完成形と現状の差を埋めるような練習をすることが容易に可能です。

学生指揮者という立場である人には、その機会が与えられています。自分が思う完成形をプレーヤーに具体的に伝えて、それに向かって皆を導くのが、指揮者の仕事です。

 

優勝を目指す、楽しくやる、良い曲を作る……みたいな漠然とした目標を立てて、それに向かって邁進するのは、音楽の授業でも可能です。ですが指揮者であるならば、その目標に向かって「どう」進むのか。そもそも何が楽しいこと(音楽)であり、何が良い曲であるのかーーもはやここまでくると哲学ですが、あなたのその考えを具体的に伝えるところまで目指しましょう。

……いや、伝えましょう。

合奏メンバーがどうすればあなたの理想にたどり着けるかの知恵を絞ってくれるかもしれません。

ところで、「チーム一丸となって同じ目標に向かう」という言葉はよく聞きますが、具体的にどうやってチーム一丸となって同じ目標に向かうのかを語られることはあまりないように思います。

私の言うこれは、その方法論の一つであると自負していますがいかがでしょうか。

 

そして「チーム一丸になって同じ目標に向かう」というのは、指揮者は「バンドをまとめ上げて曲を完成させる」という形でやっていることではないかと思うのですが、どうでしょうか。

 

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そして2つ目、練習を主導すること。

これは結構わかりやすいことではないでしょうか。顧問の先生をはじめとした「指揮者」のもつイメージそのもののうちの一つでしょう。

ここで大事なのは、先に述べた「完成形に向かうような」という点。

別の指揮者が同じ曲をやると全然違う曲になる、というのはよく聞く話であると思いますが、それの正体のうちの一つがコレです。

指揮者によって、同じスコアを見た時に浮かぶ完成形は当然異なります。そして、それぞれの完成形に向けてバンドを指導した結果、違う曲として完成している……というただそれだけの話です。

 

問題は……そうです。「どうやって」そこにもっていくかという所です。ここが指揮者が指揮者たる部分であり、学生指揮者と、顧問の先生と、そしてプロとの実力差が出てくる場面です。

 

結論から言うと効率の差でしかないと思っています。

 

指揮者にとっての合奏練習とは、一言で表すならば「理想的な完成形と、現実に鳴っている音の差異をくみ取って、それを埋めるような指示を与える場」であると思います。

実力差・効率の差とは、ここでどのような指示を与えられるか、です。

さらに言い方を変えれば、「何がダメであるかを見抜く力」+「どうすれば良くなるかという知識を持っているかどうか」と「それを言葉にして伝える能力」の差です。

 

プロであれば、専門的な教育と圧倒的な経験量がありますから、何がダメでどうすれば良くなるかを分かりやすく伝えるなんて言うのは朝飯前なんじゃないでしょうか。

そして顧問の先生は、プロの方々にはもちろん劣りますが、我々学生指揮から見れば非常に豊富な経験と知識を持っています。

では学生指揮者は……難しいですよね。でも、普通の学生よりもこれが出来なければなりません。逆に言えば、これが出来ればあなたは立派な指揮者です。

 

余談ではありますが、プロの指揮者とバンドというのは、合わせ・練習を多くて3回(顔合わせ、練習、リハ)しか行わないと聞いたことがあります。
ホントにそうだとしたら、それで指揮者の個性が出るというのは凄まじいことです。

プロの指揮者は、伝えたい完成形を、最小限の言葉と指揮技術の両面から伝えられるように究極にまで効率化しているからこそそんなことが可能なんじゃないだろうかというのが私の考えです。現場を見たことはありませんが!

 

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さて、この技術。学生である間にどのように習得するかですが……

盗みましょう

しかもあらゆるところからです。インターネット検索以外でのいくつか典型的な例を出してみましょう。


合奏で自分がプレーヤーの時に、他のパートが捕まったらチャンスです。自分以外の楽器は何が苦手で、どのようにすれば解決できるのかの情報を手に入れることが出来ます。先生の指導であれば、伝え方も効率化がなされているはずです。そこも含めて盗めればなんとありがたいことでしょう。

他のパートの指導の現場に遭遇したら聞き耳を立てるしかありません。なぜ指導の現場が発生しているのか、何がダメなのか、どのように解決できるのかをすべて盗んで帰りましょう。そうすれば、あなたが指揮台に立っても同じ指導が出来るハズです。

先輩たちの楽器・音楽トークなんかは格好の材料です。「こんなことあるよね~」「あるある~ こんな時しんどいし音出にくいからヤなんだよね。あの曲はココが難しくて~」とか言う話をしていたら混ざるか横で聞くべきです。
自分は知らないけどその楽器にはあるあるな事はたくさんあるでしょう。当人たちからすれば楽し気な愚痴トークであっても指揮を振る側からすれば新鮮な知識習得の場となり得ます。
また、こういうトークの場でさりげなーく指導で疑問に思っていることなんかを聞いてみるのもアリです。「この間先生にああいわれてたけど、実際アレ難しいの?」みたいなやつです。そうしたら、なんで難しいのか、先生の解決法が良かったのか、実際どうすればいいかみたいな話を愚痴交じりで手に入れることが出来ます。

 

そうしていくうちに、自分の専門である楽器以外について、難しいところだけでなく、それをどう解消すればいいかについてまでの知識を蓄積していくことが可能です。賢い人であれば、「あの時はこうしていたからこれでも応用利くんじゃね?」みたいな発想に至る人もいるでしょう。

指揮を振る人はやたら他パートの練習にまで何故か口出しが可能だったりしますが、からくりはこんなところです。

このようにして、この知識の積み重ねを続けて行けば、これを武器にして、合奏でプレーヤーを自分が思う方向に指導していくことが容易に可能になるわけです。

 

音楽の授業でここまでやる人はいないでしょう

もしやっている人が居たらその人は「指揮者」を目指すべきです。
つまるところ、ここまでやるからこそ、音楽の授業で指揮を振る人は指揮者ではなく、学生指揮者は指揮者と呼ばれるのです。

 

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指揮者とは指導者である……というのは、実は中高時代の指揮の先生の言葉です。
でも実際そうだよな。と私も思います。

 

自分の理想を掲げて、その理想に向かってバンドを導く人が指揮者です。

 

 

 

 

 

指揮は誰でも振れるけど、誰でも指揮者になれるわけではない。

自分が振ってきてたどり着いた結論のうちの一つです。

 

 

ゆめみどり